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宮崎家庭裁判所 昭和41年(少)9327号 決定 1967年10月19日

少年 K・M(昭二四・一二・二九生)

主文

この事件については、少年を保護処分に付さない。

理由

(窃盗の非行について)

少年は、A・Bと共謀のうえ、昭和四一年六月○○日午後一〇時ごろ宮崎県児湯郡○○町大字○○字○○××、○○○番地長○照方北側畠地において同人所有の水密桃約三〇個を窃取したものであり、右の所為は、刑法第二三五条・第六〇条に該当する。

(汽車往来危険の非行について)

検察官送致の非行事実の要旨は、「少年は、C(一三歳)と共に汽車の往来を妨害せんと企て、昭和四一年六月○○日午後一一時四〇分ころ宮崎県児湯郡○○町大字○○字××日豊本線小倉起点三〇一粁四〇〇の地点の鉄道軌条上に、付近にありあわせた長さ約二米の新品枕木一本を横たえ、汽車の往来に危険を生じさせたものである。」というにある。

そして、司法巡査作成の実況見分調書と○山○男の司法警察員に対する供述調書によれば、右送致事実記載の日時・場所において、折から同所にさしかかつた国有鉄道機関士○山○男の運転する西鹿児島駅発門司港行上り旅客列車(五二二列車)が右枕木に衝突したこと、および右犯行の時間帯は、この旅客列車の前に、下り貨物列車(五六五列車)が同日午後一一時二〇分ころ現場を無事通過していることから推して、午後一一時二〇分ころから四〇分ころまでの約二〇分間であると認めることができる。

しかし、少年が右の非行を犯したものとするのは、少年および共犯者Cの司法警察員に対する各供述調書があるのみであり、これを除けば、少年の犯行と認めるに足りる証拠は存せず、しかも、右の各供述調書は、いずれも次に述べる理由によつて採用し難いものである。

まず、少年の自供調書について検討するに、その自供によれば、少年は、当日兄のA、友人のC・D・Bと誘いあい××浜へ海亀の卵探しに出かけたのであるが、五人一緒になつてDの家を出たのは、午後一〇時半を過ぎたころであつた、途中、○○の長○照方北側の畠地で水密桃をもぎ取つたが(冒頭に認定した窃盗の非行)、その際、少年とCの両名は、その桃を風呂敷に包んでいる間に他の三人より遅れてしまい、その後を追いつつ、現場付近の小道が鉄道線路を横切つている踏切に出た、その時は午後一一時を過ぎていた、その踏切から線路添いに左へ折れて約一〇〇米進み、そこにあつた四、五本の枕木のうちから一本を少年とCの二人で持ち上げて線路上に横たえ、その後、先の踏切に戻つて少道を進み、海岸(××浜)へ出てから他の三人に追いついた、とされている。しかし、

(イ)  証人A・B・Dの各証言によれば、Dの家の近くの道路に五人が集つたのは、巨人対広島の野球ナイターのテレビが終つてから間もなくのことであり、午後九時半をあまり過ぎていない時間であつたと認められる。このことは、前記長○方における桃窃盗の時刻が午後一〇時ころであつたこと(ちなみに、検察官が引用する司法警察員事件送致書に記載されている窃盗の時刻も同じである。)によつても裏付けられる。少年の自供による集合時刻(午後一〇時半過ぎ)は、事実に反するものといわざるを得ない。

(ロ)  証人○田○男の証言と前掲の各証言によれば、少年ら五人のグループは、××浜で○田○男らのグループと出会い、前記窃取の桃を喰いながら雑談したのであるが、その際、Aが○田に時間を聞いたところ(両グループを通じて、時計を持つていたのは○田だけであつた。)、午後一一時五分前であつたことが認められる(検証の結果によれば、少年らの前記集合場所から○田らとの出会場所までの歩行距離は、約二、八〇〇米余であり、その間に要する通常の歩行時間は、約四〇分足らずであつた。この事実に前認定の集合時刻および桃の窃盗と両グループの雑談に要した時間を考慮するならば、その結果は、右に認定した○田の時計の示す時刻にほぼ符合することとなろう。)。すなわち、少年が現場付近の踏切を通つて海岸へ出たのは、午後一一時前であつて、犯行の時間帯とは、かなりのずれを生ずることになる。

(ハ)  証人A・B・Dの各証言によれば、少年・Cの両名は、桃を盗んだ後も他の三人と行を共にして海岸へ出たのであり、特に現場付近の小道では、少年が先頭に立ちC・D・B・Aの順で一列になり、CとDがそれぞれ懐中電燈で足もとを照らしながら進んで海岸へ出たものと認めることができる。この点に関する少年の自供は、あまりにも右認定とかけはなれるものといえよう。

(ニ)  少年は、事件発生の四日後、警察で取調を受け自供したのであるが、深夜帰宅を許されるや、直ちに家人に対して右自供の偽りである旨を告げ、当審判廷でも、終始一貫して犯行を否認している。

このように、少年の自供調書は採用できないものである。Cの自供調書についても、その内容は、少年のそれと大同小異であつて、少年の自供調書に対するのと同様の批判を加えることができるから、これまた信用し難いものである。

ところで、証人A・B・D・Cの各証言および少年の当審判廷における供述によれば、少年ら五人の一行は、○田らのグループと別れてから、再び海亀の卵を探しつつ海浜を南下し、五人一緒になつて松林のあるところまで来たことが認められる。検証の結果によれば、○田らのグループと別れた場所から松林のあるところまでの歩行距離は、約一、八〇〇米であり、その間に要する通常の歩行時間は約二六分であつたから、少年達が松林に到達した時には、既に午後一一時二〇分を過ぎていたものと思われる。したがつて、少年が直ちにそこから北方へひき返したものと仮定しても、犯行の時間帯に現場(その位置は、○田らのグループと別れた場所よりも北方にある。)まで到着するには、歩いていたのでは明らかに不可能であり、それ故に走つたものとしても、走りにくい砂浜であり、かなりの距離があることを考えると、犯行に要すべき時間を度外視しても、困難なところということができよう。このような事情を考慮するとき、右の各証人および少年は、松林のところをひき返してから帰宅するまで終始一緒に行動した旨を供述しているが、その供述を信用してもよいと考える。すなわち、少年のアリバイを認めることに帰するから、少年の犯行ではないというべきである。

(結論)

要するに、検察官送致の非行事実のうち認定できるのは、桃窃盗の事実のみであるところ、少年の素質・経歴・環境等を考慮するに、少年を保護処分に付する必要はないと考えられる。

よつて、主文のように決定する。

(裁判官 佐藤邦夫)

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